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名古屋高等裁判所 昭和49年(ラ)32号 決定

抗告人 名古屋市千種区長 勅使修

指定代理人 松崎康夫 外三名

相手方 土井厚

訴訟代理人 山口治夫 外一名

主文

原審判を取り消す。

本件不服の申立を却下する。

手続費用は第一、二審とも相手方の負担とする。

理由

抗告人指定代理人は、主文同旨の裁判を求め、その理由とするところは、別紙抗告理由書記載のとおりである。

一  現行民法上嫡出でない子とその父との関係は、父が任意にその子を認知し、または、子、その直系卑属などから父に対して提起された認知の訴に対し勝訴判決がなされることによつてのみ創設され、両者の間にいかに自然的・生理的父子関係があつても、これによつてただちに法律上の父子関係が発生するものではない。この理は、内縁の夫婦から生れた子についても、これが嫡出でない子である以上ひとしく妥当するのであつて、ただ内縁関係が婚姻に準ずる実体を有するものであることから、内縁中に懐胎され父母婚姻後に出生した子に対しては嫡出子たる身分が与えられ、内縁の妻が内縁関係成立の日から二〇〇日後、解消の日から三〇〇日以内に分娩した子の認知の裁判においては、民法七七二条を類推して内縁の夫の子と推定される等の保護が与えられるにとどまり、内縁関係から生れた子はその父母が婚姻した場合でさえ父の認知がない限り準正されないことからみても明らかなように、自然的・生理的の父子関係が確実であつても、父の認知なくしては法律上父子関係の成立は認められないのである。そして、民法七八七条は、父の死亡後は、認知の訴を父死亡の日から三年間に限つて提起することを認めているから(ただし、認知の訴の特例に関する法律によるべき場合は別論であるが、本件は右法律によるべき場合にあたらないこと明らかである。)、右期間の経過後は、嫡出でない子とその父との間に法律上父子関係を発生させる途は現行法上存在しないのである。

本件仙台地方裁判所の親子関係存在確認請求事件の判決は、相手方がその父であると主張する田中烝が昭和二〇年一月二七日死亡した後民法七八七条に定める三年の期間をはるかに経過した昭和四七年に提起された相手方の訴を認容し、その主文において相手方が右田中烝の子であることを確認したものである。したがつて、右判決は、その事件名や主文の文言からみても、また、同裁判所が相手方の主張自体から民法七八七条の出訴期間経過後の訴であることが明白であるのにこれを却下しなかつたことからみても、民法七八七条に定める認知の訴に対する判決ではなく、右判決が確定しても認知の効力が生じないことは明らかである。そして、このことは右判決の主文の内容が相手方と田中烝との間の父子関係を確認していることによつては何ら妨げられるものではない。

このように見てくると、右親子関係存在確認事件の判決は、いわば自然的・生理的父子関係の存在を確認したものにすぎず、認知の裁判に代わり得る効力を有しないものというべきである。これに反する見解は民法七八七条を全く無視することとなり、到底採用することができない。

二  ところで、相手方は、その父の認知がなかつたため、戸籍父母欄中父欄が空白であつたところ、昭和四八年六月二一日抗告人区長に対し、前記仙台地方裁判所の確定判決を添付のうえ、右父欄に前記田中烝を父として記載することを求める旨の戸籍訂正の申請をなしたのである。右申請は戸籍法一一六条に基くものと認められる。

しかしながら、戸籍の訂正は、戸籍の記載が当初から不適法または真実に反し、あるいはその記載に遺漏がある場合になされるものであるところ、相手方の戸籍には何ら訂正せらるべき箇所は存在しない。けだし、相手方の戸籍中父欄の記載が空白になつていることは、これまで相手方の父の認知または認知の裁判に基く届出がなかつたからに外ならず、前述したように認知がなければ嫡出でない子とその父との父子関係は生じないから、右記載の空白はまさに法律上正しい状態を反映しているものだからである。

また、身分関係が一定の事実または行為によって変更消滅する場合には、戸籍訂正の手続によるべきではなく、戸籍法第四章所定のそれぞれの届出によつて戸籍の記載をなすべきであるから、嫡出でない子とその父との間に父子関係が創設されたときは、前記戸籍法第四章のうち第三節に収める認知届出の各規定に従い届出をなし、これにより父欄の記載をなすべきものであり、戸籍訂正の方法によることは許されないのである。相手方は最高裁判所昭和四五年七月一五日言渡大法廷判決は、相手方のなした前記のごとき戸籍訂正の申請により嫡出でない子の戸籍の父欄への記入をしても差支えないとの取扱を認める趣旨であると主張するが、当裁判所は該判決はその事案において本件と異なり、また、相手方主張のような趣旨を含んでいるものとは考えないので、右主張は採用しない。

三  しかして、戸籍事務管掌者たる抗告人区長の権限は、戸籍の届出ないし訂正の申請の受理につき、その審査の方法が届書およびその添付書類並に戸籍簿等に限定されることはいうまでもないところであるが、その審査の対象については、届書における記載事項の具備、法令に要求された証明書の添付等形式的要件の審査をなしうるにとどまらず、民法七四〇条、七六五条、八〇〇条、八一三条等の各規定からも窺知しうるがごとく、ある程度の実質的要件の存否の審査もこれをなしうるのであり、ことに、届出事項が虚偽なることまたは実体法規に牴触しためにその効力を生ぜざることの明らかな場合には戸籍の記載を拒否することができるものと解されるのである。本件についてこれを見るに、相手方は、実体法上認知の裁判としての効力を有せざる前記仙台地方裁判所の判決をえたうえ、戸籍上何ら遺漏なきにかかわらず、認知届以外に途なき父欄の記入を戸籍訂正手続により達成しようとして前記申請をなしているに外ならないから、この申請を受理するにおいては実体法規に牴触し無効なることの明白な記載を戸籍上に現出することになるといわざるをえない。しかも、相手方の右戸籍訂正申請の許すべからざることは、相手方の提出した戸籍訂正申請書、その添付書類並びに戸籍簿により明白な場合であるといわなければならない。してみれば、抗告人区長としては、相手方の本件戸籍訂正申請を受理することができないものである。

四  以上説示のとおりであつて、抗告人区長が本件戸籍訂正申請を受理しない処分をしたことは相当であり、本件抗告は理由がある。よって、原審判は不当であるからこれを取り消し、相手方の本件不服申立を却下することとし、民訴法四一四条、三八六条、八九条により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 宮本聖司 裁判官 吉川清 裁判官 川端浩)

別紙

抗告理由書

一、原審判は、抗告人に対し相手方土井厚が昭和四八年六月二一日仙台地方裁判所昭和四七年(タ)第三四号親子関係存在確認請求事件の確定判決(以下「本件判決」という。)に基づき相手方の戸籍に同人の父として申立外亡田中烝を記載する旨を求めた戸籍訂正申請(以下「本件申請」という。)を受理せよと命じているが、その理由には右審判の主文に影響する重大な法律解釈の誤りがあり、抗告人としては到底承服することができない。右原審判の誤りについては、抗告人が原審において提出した昭和四八年一〇月九日付意見書からも明白であるが、以下においてその誤りを指摘し、これに対する抗告人の主張をさらに敷衍して本件抗告の理由を論述する。

二、まず、原審判は「ひとたび確定判決によつて法律上の父子関係の存在が確認された場合においては、その判決が当然無効とみられる場合を除き、戸籍事務管掌者としては、当該父子関係を戸籍に登載するほかなく、判決に示された実体法の解釈と異る解釈を主張して、当該父子関係の戸籍への登載を拒むことは許されないと解する。」としている。

しかしながら、戸籍事務管掌者たる市区町村長は、判決に基づく戸籍の届出等受否の審査をなす場合においては、当該判決の文言上の表現をうのみして処理すれば足り、当該判決によつてどのような法律関係が確定されたかについて審査判断する権限はなくその必要もないといいうるものであろうか。この点を検討するには、わが戸籍事務管掌者の審査権について考察する必要がある。

しかして、戸籍事務管掌者の審査権については、戸籍法において何んら明定していないところであるが、一般に戸籍事務管掌者の審査権は、当該届出等が法定の要件を具備しているか否かすなわち当該届出等が法令に違背していないか否かを調査するいわゆる形式的審査たるにとどまり、実質的事実の認定等の実質審査の権限及び責任はないものとされている(青木義人「戸籍法」九八頁、加藤令造「戸籍法逐条解説」八八頁参照)。しかし、ここで形式的審査といつてもその審査の方法が届書及びその添代書類、戸籍簿の記載及びこれに準ずる資料等に限定されるというにすぎず、その審査の対象については、創設的届出たる婚姻届出について民法七四〇条は「その婚姻が第七三一条乃至第七三七条及び前条第二項の規定その他の法令に違反しないことを認めた後でなければ、これを受理することができない。」とし、協議離婚(民法七六五条)、養子縁組(民法八〇〇条)、協議離縁(民法八一三条)の届出についても同旨の規定を設け、また報告的届出について、戸籍法は当該届出につき各種証明書類の提出を求め届出事項の真正を確保していることに徴すれば、戸籍事務管掌者のなす審査は当該届書等に法定の記載事項が記載されているか否か、法令に定める証明書類が添付されているか否か等の形式的要件のみならず、実質的要件の存否も審査しうるものと解されるのであり、この点につき判例も「戸籍簿ハ人ノ身分ヲ公証シ人ヲシテ各人ノ有スル身分地位ヲ知ラシムル為メニ設ケラレタル公簿ニシテ其記載ノ適法ニシテ且ツ真実ニ合スルコトヲ期スヘキハ勿論ナレハ届出事項カ虚偽ナルコト又ハ実体法規ニ牴触シ為ニ其効力ヲ生セサルコトノ明白ナル場合ニ於テハ市町村長ハ其記載ヲ拒ムコトヲ得ルモノト解スルヲ以テ最モ立法ノ精神ニ適合スルモノト為スヘシ」(大判大正七、七、二六刑録二四輯一〇一六頁)とし、学説も戸籍事務管掌者の審査の対象については法令の定める形式的要件は勿論のこと実質的要件の具備をも審査すべきものとしているのである(村岡二郎「市町村長の審査」戸籍実務読本三七頁以下、加藤・前掲書八七、八八頁参照)。

かように、戸籍事務管掌者は、当該届出が実質的要件を具備しているか否かを審査する権限を有するものであることからすれば、その実質的要件の具備を審査するにあたつては実体法の解釈をなす必要が生じうるのであるから、当該実体法の解釈権を有するものであることは当然であるといえる。さすれば、本件において、戸籍事務管掌者は少なくとも本件判決により法律上の親子関係が存在するものと認める余地があるか否かを解釈判断する権限を有するものであるというべく、その限りにおいて原審判のいう「判決に示された実体法の解釈と異なる解釈を主張して………………戸籍への登載を拒むことは許されない」との見解にはにわかに承服できないところである。

したがつて、本件判決の示す内容が法律上の親子関係が存在するものとして認容さるべきものかどうかを次に検討する。

三、原審判は、右に関して非嫡出父子関係の形成については、現行法の定める認知制度によるべき旨の抗告人の主張を正当と認めながらも、これに反する本件判決の内容が現行法上受け入れられるものであることを理由づけるために「判決は、非嫡出父子関係の発生に関する法律見解を特別に判示してはいないが、典型的な内縁の事実を詳細に認定したうえで申立人と田中烝との間の父子関係を肯定していることから、学説の一部において主張されているところの、内縁中に懐胎された子は認知がなくとも当然に内縁の夫の子とみなされるという見解に立脚したものとみることができる。」との解釈を示している。

なるほど、内縁中に懐胎された子が、その内縁関係成立の日から二〇〇日後、解消の日から三〇〇日以内に出生した場合、民法七七二条の趣旨を類推して内縁の夫の子と推定すべきであるとし、さらにこれを単なる父性の推定にとどめず原審判のいう法律上当然の父子関係にまで及ぼそうとする趣旨の学説があるとしても、それは内縁子保護の立法論としてはともかく、非嫡出父子関係の形成に認知制度を採用する現行実体法の建前からは到底認容されない法解釈というほかない。

すなわち、非嫡出父子関係の形成についてわが民法は、父の認知又はこれに代わる認知の裁判を要する旨を明定(民法七七九条乃至七八七条)しているのであり、このことは内縁子も嫡出子でない以上その例外とされるものでないことはいうまでもあるまい。ただ、内縁子については、内縁が婚姻に準ずる実体を有するものとの観点から内縁中に懐胎され、その父母婚姻後に出生した子に対しては嫡出子たる身分を与え(大判昭和一五、九、二〇民集一九巻一五九六頁)、内縁の妻が内縁関係成立の日から二〇〇日後、解消の日から三〇〇日以内に分娩した子の認知の裁判においては婚姻における民法七七二条の趣旨を類推して内縁の夫の子と推定すべきである(最判昭和二九、一、二一民集八巻一号八七頁)として内縁中の懐胎子につき婚内子に準じた解釈への努力が示されている。

しかしながら、内縁子は、その父母の婚姻によっても父の認知を経ていない限り準正されるものでないこと(民法七八九条)からみても内縁子に婚姻による嫡出子のごとく父の認知を要せずして当然に法律上の父子関係の成立が認められるわけではないし、また内縁の夫の子としての生理上の父子関係が確実であつてもそれをもつて父の認知を伴わずに法律上の父子関係を当然に認めることは現行実体法の解釈としては到底許されない。

なお、本件は、内縁の夫死亡後三年を経過した後に非嫡出父子関係存在確認請求の訴を提起しているのであるが、その実質は認知請求であるから、民法七八七条但書の適用をみるものであり、さすれば生理上の父子関係が存在したとしても内縁の夫の死亡後三年を経過した後においては、もはや内縁子はその父に対し認知を求めることのできないものであることは明白である(最判昭和四四、一一、二七民集二三巻一一号二二九〇頁、谷口知平「戸籍法」(新版)三〇九頁、加藤令造・新判例評釈・判例タイムズ二五四号七七頁以下参照)。

かくみれば、内縁子の父性推定につき民法七七二条の趣旨が類推適用されるとの解釈は当該認知の裁判における生理上の父子関係の立証責任の問題として、父の推定があるというにとどまるもので、右推定を有するが故に内縁子の法律上の父子関係につき認知を要しないものと解することは到底できないのである。

また、内縁子につき民法七八七条但書の制限規定を排除するには立法をまつべきであつて、現行実体法の解釈によりまかないえないものというべく、そのことは、今次戦争により死亡した者の子等につき特別立法をもつて右制限規定の適用を排除した「認知の訴の特例に関する法律」の制定に思いをいたせば、内縁子につき実体法の解釈として民法七八七条但書適用の排除をなしえないことが十分理解できるのであるから同条に直接牴触する本件判決によつては生理上の父子関係の存在が確認されたにとどまり、これによつて法律上の父子関係が確認されたと解することができないのは当然である。

四、しかるに、原審判は、本件判決が確定したからには「申立人と田中烝との間の親子関係は既判力をもつて確定され、かつ人事訴訟事件の判決は対世的効力を有するから、以後裁判の場において上記親子関係が否定されることはない。このように強力な法的実在性を取得した身分関係について、戸籍事務管掌者がなお自己の法解釈の正統性を主張することは無意味であり、上記身分関係の戸籍への登載を拒むことは、かえつて戸籍と実体との不一致をもたらす」と判示する。

しかしながら、右原審判のいう本件判決によつて確定された親子関係は生理上の親子関係であるに過ぎず、法律上の親子関係としての効力を認め得ないものであることは、これまで述べたとおりである。戸籍制度は、法律上の身分関係を公証するためのものであつて、生理上の親子関係の存在が確定されたとしても、右は本来戸籍に記載すべき事項ではないのであるから、戸籍事務管掌者たる抗告人は、本件判決が果して法律上の親子関係の存在を確定する効力を有するか否かについて審査判断し、もし消極的な結論に達したときは、法律上の実体を伴わないものとして本件申請の受理を拒む責務がある。

ちなみに戸籍事務管掌者がかような実質審査義務を負うものであることについては、すでに数多くの戸籍先例の示すところであり、また判例の是認するところでもある。

すなわち、非嫡出父子関係につき戸籍先例は「認知がないのに非嫡出子と父との間の親子関係の存在することを確認する旨の審判が確定しても、それに基づく戸籍訂正をすることはできない。もし戸籍訂正申請により戸籍記載をしてしまつた後は、戸籍法二四条二項により職権訂正をするのが相当である旨」(昭和三六、一、二〇法務省民事甲第一八四号民事局長回答、訓令通牒録〈4〉五〇八九頁)、「非嫡出子につき、父の認知があつたことを認める資料がないのに記載遺漏を原因とする父の名の記載を許可する審判が確定しても、これに基づく訂正申請は受理すべきでない旨」(昭和三七、三、一三法務省民事甲第六九一号民事局長回答、訓令通牒録〈5〉五八七六頁)等、その届出等の受理を拒んでいるのである。かような戸籍事務管掌者の取扱いにつき判例は、行政庁たる戸籍事務管掌者は裁判において示された法解釈につき、裁判がその形式内容において無効乃至違反であることの明瞭な場合には行政庁としても当該裁判の違法、無効の判定をなしうべきものである旨判示し(福島家裁審判昭和三六、一〇、一二家裁月報一四巻七号八四頁)、現行戸籍実務の取扱いを是認しているのである。そして、かかる戸籍実務の取扱いが堅持されることによつて戸籍に法律上の身分関係が正確に公証され得るのであり、かくしてこそ戸籍への信頼を維持し、わが国民の身分法秩序を保持できるものといえるのであるから、戸籍事務管掌者の右述のごとき届出等の審査こそ戸籍制度の要請にまさしく合致しうるものといえるのである。

五、以上みたとおり原審判には、現行民法、戸籍法の解釈を誤り抗告人に対し本件申請の受理を命じたもので、到底違法たるを免れないから、すみやかに原審判を取消し、相手方の本件不服申立を却下する旨の裁判を求めるため本件即時抗告に及んだ次第である。

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